何でもシェアできる社会にシェアする危険性も考えてみた

マインド

現代は便利になったなぁ。そんなことを感じることも増えてきました。

個人的に言っても、子供の頃であれば出来なかったことが、肉体的や精神的な成長ではなく、単純に便利なツールや道具が増えたことで出来るようになってきたと思います。それこそ、スマホがあるからいろいろなことが出来るわけですし、それ以外にも時代が進むにつれ便利グッズというのも増えてきています。また、グッズだけでなくて、考え方や、社会のあり方が変わってきたことによって便利になったり、暮らしやすい社会になるということもあると思います。

また、ツールができて、その上で考え方が変わったことという複合的な要素で変わった部分もあると思います。

その中でここ数年(数十年?)で大きく変わったことといえば、何でも「シェア」できる社会になったということかなと感じています。

シェアリング社会

「シェア」や「シェアリング」という言葉を聞く機会もだいぶ増えてきたなという印象があります。それくらい、今の社会は「シェアリング」社会になってきたんだなと思います。シェアリングといえば、今では車(カーシェアリング)や家(シェアハウス・ルームシェア)までもが一般化しつつあります。

とはいえ、シェアすることが昔はなかったというわけでもなく、昔であれば醤油が足りなくなってしまったからお隣から借りたみたいなことも貸し借りではあるものの、広く言えばシェアですし、今でも地方にいけば地域のみんなでシェアしながら暮らしているところもあるでしょう。

かつては中々シェアしなかったものまでが現代ではシェアされている、またそれがビジネスになってきているというのが今のシェアリング社会の特徴なのかなと感じます。

情報のシェア

そして、今おそらく最もシェアされているものが、「情報」だと思います。これも昔からシェアされていたと言えばシェアされていたのですが、その情報の広がり方とスピードがこれまでに比べ、より広く、より早くなったのが大きな特徴でしょう。

人伝いからマスメディアまで

情報のシェアも昔からあったものです。それこそ縄文時代から情報なんてものはシェアされ続けたものでしょう。当時であれば「あっちの方が獲物が多く捕れるぞ」とかそんな情報だったと推測しますが、それを人づてにシェアしていくことがメインだったと思います。それがそのうちに文書に残すことが出てきて、何が起きたのかを後世に残すということが出来るようになりました。これも後世に情報シェアしているとも言えるかもしれません。

さらに時代が一気に進んでくると、ラジオや新聞・テレビなどいわゆるマスメディアが発達してきて、情報のシェアがこれまでに比べて一気に広がりをもったものになってきます。それまで人伝いであった情報が一気に大多数の人に伝わるようになりました。これについてはテレビ離れとか言われるものの、今でも大きな効果を持っていると思います。

Web・SNSでのシェア

マスメディアの発展の後に出てくるのがWebかと思います。それまではテレビ・新聞・ラジオといった大手のみしか広く情報伝達できなかったのに対し、一般人でも多くの方に情報伝達可能にしたのがWebです。もちろん、ただ書いているだけで、たくさんの人が見るわけではないですが、少なくとも一般人でもマスメディアに近い情報伝達ができる可能性を作り上げたでしょう。

実際にたくさんの方に見られているサイトが大手メディアによって運営されているわけではないですし、個人であっても多くの方に見られるサイトも出ています。特にYahoo!やGoogleなどの検索サイトの登場以降は、SEOがキーとなって、いかに検索上位にくるかで多くの人に見られるサイトになるかが決まるようになってきました。

さらにここに輪をかけるのがSNSの登場で、SNSでシェアするというのが増えたことによって、単なる情報がさらに多くの方へ、スピーディーに伝わるようになってきました。

Webでの情報をSNSでシェアすることで、これまでより多くの方により早く伝わるようになりました。SNSの場合、1人がシェアした情報が10人の人が見るだけでなく、その人たちがまたシェアすることで爆発的な情報拡散が進むようになってきます。これによってWebメディアというのも登場してきており、Web上でのみ情報発信していくメディアの存在が大きくなっているように思います。そして従来のマスメディアも自らサイトでの発信や動画配信、SNSでの発信に力を入れてきています。

もちろん大手だけでなく、個人ブログなんかも簡単にシェアできる(一応このブログもそうですが笑)のでブロガーなる人も出てきていますし、それだけで生活できる人さえいるほどです。

簡単にシェアできることの善し悪し

というわけで、従来であればテレビをみて、その情報を学校で話す、あるいは井戸端会議で話題にするというような世界(これはこれで残ってますけど)だけでなく、Web上での発信、シェアによって情報伝達していく世界が生まれてきています。SNSを見れば、おそらく自分のFacebookの友達やTwitterのフォロワーで何かしらのニュースやサイトの情報をシェアしている人がいるでしょう。

私自身もよくやりますが、有益な情報だと感じるものであれば、周りの人に教えてあげたり、あるいはニュースについてコメントしたりすることもできます。

他の人に伝えたい情報や、「これはしっかり取材された良い記事だ」と思ったものは個人であってもシェアして広めていけるのはSNSでの情報シェアの良いことだと思います。それによって、その内容を書いた人も多くの人に読まれることになりますし、書いた側も読んだ側もWin-winな関係になれます。

その一方でシェアする危険性も認識しておかないといけないと思います。残念ながら、現代にはしっかり取材していない記事であったり、正しいかどうか分からないものであったり、あるいは人の記事や写真をパクって書いた記事というのも増えています。

また、明らかにシェアされることでPV(ページビュー)数を稼ごうとしている記事も多いですし、「面白かったらシェア」みたいな記事が増えてきています。

自分たちで作成して、実際に面白いものであったら、それはシェアされて多くの人に見てもらえることは問題ないと思うのですが、それとは別に、パクリ記事であったり、内容に明らかな間違いがあるものでもシェアされてしまう、そしてその記事を書いた人の利益になってしまうのは情報シェアの悪い点でしょう。

情報をシェアする側の意識〜それはシェアしていい情報か

こういったパクリ記事や悪記事を書くのも問題ではありますが、それと同時にシェアする側についても、簡単にシェアしてしまった情報が結果的に周りの人に悪影響を及ぼしてしまうということも理解しておかないといけないと思ってます。

これは情報をシェアする一人一人に与えられた課題です。情報シェアする際には通常、「これはオモロい」とか「なるほど!」「かわいい!」「よく分かった!」とかその情報を見た瞬間にすぐに判断してシェアしてしまうことが多いです。その際に、その情報が他の人が書いたものをパクって書いたものや、他で使われた画像や動画をパクって作られたとか、写真を加工して実際とは異なる形で作られているとか、そういったことを判断せずにシェアしてしまっています。

ちょっと前に東京五輪のエンブレムが他のデザイナーが作ったものを盗んで作ったのではという疑惑が浮上しました。これはこれで問題なのですが、そこで「人のものをパクるなんて!」と言っていた人がパクった画像をアイコンに利用していたりということもありましたし、パクリ記事をシェアしているなんてこともありました。結果的には自分たちも(影響力の大きさは違っても)似たようなことをしてしまう恐れがあるわけです。

話をもとに戻すと、簡単にシェアできる社会だからこそ、安易にシェアすることは危険を伴う、と認識すべきかと思います。シェアする前にこれはシェアしていいものなのかどうか、というのは少しでいいので考えておきたいです。

まとめサイトの存在

後付け加えると、今は多くのまとめサイトが存在しています。そしてそのまとめサイトも多くの方にシェアされやすいサイトです。個人的にはまとめサイトは見てもいいとは思いますが、シェアすべきではないと思ってます。

まとめサイト自身がかなり怪しい存在だと感じています。他のサイトからの情報や記事の引用で成り立っていたり、必ずしも正しいとは言えないものであったりが横行しやすいものなので、自分で見て参考にするのは良いにしても、シェアは避けたいです。大手であっても著作権意識の低いものもあるくらいです。

情報を受け取った側の意識

そしてもう一つ、自分ではシェアしない人には関係ないと思っている方がいるかもしれないですが、そんなことはないです。情報を受け取った側の意識というのも大事です。

そもそも情報なんてものはWebやSNSがある前から世の中にたくさんあるわけです。その中には正しいものもあれば、噂レベルのもの、推測だけのもの、完全な嘘の情報ですら氾濫しています。これらを見分けていく力も大事です。ただ、実際にはどれが正しくて、どれが間違っているというのは簡単に判断できないものが多いです。また、正しい・間違っているというのは一概に分けられるものではなく、検証が必要な場合もありますし、歴史的なものや、外交的なものになればなおさらですが、それぞれの主張でどこを重視しているか異なる場合もあり、それにより、最終的な結論が正反対になるものもあります。

情報は100ある事実のうち、50しか伝わっていないがその50は全て正しい、という情報もあります。これは結果的には正しい情報(情報量が少ない・足りないということはありますが)です。正しさというのが一概に判別できないわけです。

たとえ情報シェアしない人であっても、人から流れてきた情報は必ず疑う姿勢は持っておいた方がいいと思います。情報シェアする人には特定の意見を支持していて、その意見に沿う情報をシェアしてくる人もいます。そればっかりを信用してしまうと、それはそれで問題かと思います。

情報がいろいろと溢れている社会なので、少なくとも自分自身で判断する必要があります。大手だから正しいわけではないですし、逆に「大手が報じない真実」として流れてくる情報も真実かどうかはわかりません。なのでそこは個人で判断すべき問題です。

個人的には、誰がどんな情報を持っていて、どんなことを信じていようが個人の自由だと思います。それだからこそ、他人の人に自分が信じた情報や正しいと思った情報をシェアするのは、客観的には正しくなかったり、別の人からすれば受け入れがたいものの場合もあります。そしてシェアすることによって利益を得ようとする団体も入れば、パクリでもいいから利益にするために作られた情報もあります。

情報シェアが簡単になってしまった今だからこそ、簡単にシェアしてはいけないし、シェアされたものを簡単に信じてはいけないと思います。

ということで、このブログを見た人もこの記事を信用せずに、自分でこれは良いものなのか、悪いものなのか、正しいのか正しくないのか判断してもらえればと思います。

 

コメント

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