「議論が深まっていない」という言葉に対する違和感

日常

早速ですが、以下のニュースをご覧ください。

改憲議論「深まっていない」62% 連続世論調査

「議論深まっていない」と公明大阪府議団 都構想区割り案絞り込みに否定的

山口・公明代表「改憲、国会で議論深まっていない」

政治的話題になると、よく「議論が深まっていない」という言葉を耳にします。テレビ・新聞等のマスメディアもそうですし、政治家もそうですし、街の声として取り上げられる際にも「議論が深まっていない」という言葉を聞きます。(なお、上記のニュースを抜粋したのには政治的な意図はなく、とりあえず検索上位に上がってきたものを抜粋しています。その個々の事例の善し悪しを述べていく訳ではないです。)

でも、この「議論が深まっていない」という言葉に僕自身はとても違和感を感じています。果たして議論が深まっていないという状態はどういう状態なのか、逆に議論が深まったという状態はどういう状態なのか、議論が深まったかどうかは誰が判断するのか。

よく聞く言葉だからこそ、意外とわかっていない。そんな「議論が深まっていない」という言葉を考えていきたいと思います。

議論には大きく分けて2種類ある

まず、「議論が深まっていない」を考える前に、議論という言葉を考えます。議論には大きく分けて2種類があると思っています。それが以下の2つです。

  • 争点が明確なもの
  • 争点が不明確なもの

議論をする際には、話し合う中でここで意見が分かれるというポイントがあります。それが争点です。争点が明確であればある程、分かりやすい話題になりますし、逆に争点が明確ではない場合には分かりにくくなる傾向があります。では、それぞれどんな議論があるのでしょうか。

争点が明確なもの

争点が明確なものとは、簡単に言えば、賛成・反対がはっきりしているものになります。質問でいえば、

  • Yes/Noで答えるもの
  • AかBか選択するもの
  • 賛成か反対かで答えるもの

になります。もう少し具体例を挙げてみると、下記のような感じです。

  • 改憲に賛成か反対か
  • 死刑制度を継続すべきか
  • きのこの山とたけのこの里、どっちが好き?

とまぁ、政治的な話題からくだらない話題まで、全てどちらかを選択する二者択一のもの、あるいはYes/Noで答えるものなどは争点が明確になります。

争点が不明確なもの

逆に争点が不明確なものは、上記のように、二者択一で答えられるものや、Yes/Noで答えられないものとなります。つまり、

  • 選択肢が複数あるもの
  • アプローチの方法がたくさんあるもの
  • AもBもCも正解になるもの

になります。具体例を挙げると

  • 年金制度はどうしていくべきか
  • 安全保障体制をどう変えていくか
  • 今日の夜ご飯は何にするか

みたいな感じです。こちらの場合は選択肢が多くあるので、特に争点が不明確になりがちです。また、「夜ご飯は何にするか」みたいに最終的に1つに決められるものならいいですが、そうではなくて、「あれもこれも必要だね」となるものは明確に賛成or反対としずらいので、争点としては分かりにくくなってしまいます。

争点が明確なものに比べると、賛成or反対と決められず、それも正解のアプローチだねとなってしまい、どうしても分かりにくくなってしまいます。

ちなみに、争点が分かりにくい質問を分かりやすくすることも可能で、例えば「年金制度をどうしていくべきか」に対しては、多種のアプローチがありますが、「年金支給年齢を引き上げるべきか」とすれば、賛成・反対になり、争点が明確化することができます。ただし、至急年齢の問題は、年金制度に関する課題の中の1つに過ぎないです。こういった課題がさらにたくさん集まったのが年金制度の問題となります。

Yes/No型の議論は深まらない

さて、本題に戻って、「議論が深まらない」を考えていきたいと思います。議論をしていく際には多く分けると2つの軸があります。議論の盛り上がりと議論の深まりの2つの軸があります。

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議論が盛り上がるというのは、議論していく中で、テーマに対して、賛成・反対の人が意見を述べる、その理由を述べる、それに対して反論する、さらにそれに対して反論や別の切り口が出る、というものです。

議論が盛り上がるのは悪い事ではないです。参加者が議論に参加し、それで盛り上がるんですから悪い事ではないです。でも深くはなっているかというのとは別なんですね。

議論が深まるとは、話題に対して、多様な意見が出されて、議題の本質に対して解決策が提示されていくことだと考えてます。単純に意見が出されるだけの状態は、議論が深まる状態だとはみなしてないです。

なので、今日はたくさん意見が出ましたね、というのは議論が深まった状態だとは言えない。その出された意見が昇華していって、議題に対しての解決策となるのが深まりです。ここまで持っていこうと思うと大変です。その昔、ナポレオン失脚後にヨーロッパ秩序を取り戻すために開催されたウィーン会議というのがあって、この会議は「会議は踊る、されど進まず」と称されましたが、まさにこれは議論が深まらずに盛り上がっただけの状態を指します。(まぁこの会議は踊るは、比喩として使われたのでなく、実際議論が行き詰まったら、舞踏場で踊っていたらしいですけどね笑)

さて、ほんでもってこの「Yes/No型の議論」って中々議論が深まらないんですよ。なぜなら、自分の立場を変える事がないからです。Yesの立場の人は、Yesを変えることはなく、Noの人にYesの立場になるように論説していく。もちろんNoの人もYesになるように論理的に話していく。でもそれぞれの立場ってそんな簡単に変わらないんですよ。

もちろん簡単に変わる議題もあるでしょう。例えば、きのこの山とたけのこの里どっちが好き?というきのこたけのこ論争くらいしょうもないものであれば、まぁきのこの山もいいかな、なんて簡単に意見変わってしまう人もいるでしょう。(なお、僕自身は完全にたけのこ派ですし、きのこ派に寝返ることはないです笑。なので人によりけりですね笑。)

でも死刑制度に反対か、賛成かなんて、そう簡単に賛成/反対が寝返る可能性はないです。むしろ相手の意見なんか聞いてたまるか、絶対に論破してやる!、くらいの気持ちで議論します。そりゃ議論が深まるわけないですよ。お互いの意見言い合うだけになりますから。

Yes/No型だとどうしてもこうなっちゃうんですよね。

争点が不明確なものほど実は議論は深まる

逆に、争点が不明確なほど実は議論は深まりやすいです。なぜなら、Yes/Noではないので、参加者でよりよい案を作っていく形になり、相手を論破してやる!みたいな気持ちで議論に入る事はないからです。求めるべき解決策に対して色々なアプローチができるので、そこから昇華していってよりベターな案を作っていく事ができます。イデオロギー的な対立もないし、相反することも少ないので、相手の良いところを取り入れて、逆に悪いところを消していって、解決策ができるんですね。

それに対して、議論が盛り上がるかというと、それはまた別です。議論が盛り上がる時っていうのは、白熱したときであって、相手の意見に反論する、自説を補強するため論理を構築する、相手の反論に対して、さらに反論する。こういうのを繰り返す事で盛り上がるわけで、Yes/No型ではなく、「それもいいね」、「このやり方もあるね」みたいな話だと盛り上がりには欠けてしまいます。

どうしても議論の盛り上がりと深まりは反比例してしまうものなんですね。

「議論が深まっていない」は使わない方がいい

で、本題に戻って、「議論が深まっていない」という言葉に戻りましょう。この「議論が深まっていない」という時って大体、議題に対して、ある立場とそうではない立場の2つが対立してしまっている時がほとんどです。この場合、どうしてもYes/Noで対立してしまって、それ以上深まる事がない。議論の性質上やむを得ない問題だと思っています。もちろん、議論するのは大事ですが、深まりを求めるのは無理があるということです。

そもそも論で言えば、議論が深まっていないと言われるものは、そもそも議論が深まりようがない話題が多く、それに対して議論を深める事は困難な問題がほとんどでしょう。議論する事は大事ですし、盛り上がる議論にはなるかと思いますが、お互いの立ち位置から主張を続けるだけになります。

本気で議論を深めたいなら、せめて相手の立場を理解することが大事です。それができない限りは議論の深まりは得られません。でも、元来対立している立場で相手を理解して議論するのは困難です。それより相手を論破してやろうという感情になっていくことの方が多いんですよね。

議論は深まっていく方が望ましいですが、それを求めるにはハードルは高いと考えておく方がいいでしょう。議論が深まらないというよりは、深まる議論をする余地がないケースがほとんどではないでしょうか。

議論は深まらないのはしょうがない

議論が深まらないと、よく言われますが、Yes/No型の議題については議論が深まらないのはしょうがない部分が多いです。ただし、議論は必要だし、議論を盛り上げていくことは必要です。これをやらないのはどんな議題でもよくないでしょう。議論をしていないことに対して、議論が深まらないというのではなく、議論をしなさいと言うべきですし、議論を盛り上げろと言うべきでしょう。

深まりについてはしょうがないとあきらめも必要だと思っています。

 

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